続身勝手論
私は人工的に作られた観賞植物というものが嫌いだ。野の雑草につく小花のほうがどれほど好ましいかわからない。これは私の偏見であろうが、どうにも仕方がない。
世の女性というものは心優しく、
午夜戦神カプセル美的情緒を求めて、部屋の中に花など飾る。みんな人工的な美しい花だ。
私は身勝手な人間ではあるが、他人のやることにはクチバシを入れない。私には特有のアレルギー体質もないから、花の匂いでジンマシンができてしまうこともないのである。
しかし女性はなにしろ心優しいから、他人の机の上にまで花瓶を置きたがる。花瓶には水を入れる。そこにさまざまの人工的な花をさすのである。
これは多少邪魔ではあるが、まあ我慢することにする。しかし我慢ならぬのは、この花瓶がひっくりかえることである。
ひっくり返すのは私だが、どういうものかこれが必ずひっくりかえる。そうなると、机の上は水浸しで、私が激怒したとて少しも無理はないだろう。
すべては花のせいなのだ。そうなると私は世界のすべての花を呪う。せいぜい花瓶にさされることのない、タンポポとゼニゴケとぺんぺん草だけが地上に残ればいいと思う。
だから私には、きれいな花壇をつくったり、球根を植えたりする趣味はない。球根を水栽培したりしてあるのを見ると、それが自分の机の上におかれないことを神に謝したくなる。
ある女性がその水栽培をやっていたが、友人の家のはもう蕾が出たというのに、自分の芽がようやく出たばかりなのである。
「ずいぶん不公平ね」
韓国痩身一号
といって、彼女は早く芽を大きくしようとそのうつわにお湯をさし、すっかり枯らしてしまった。私はその話を聞き、一日じゅう心がなごんだ。